昭和44年8月17日 朝

 御理解第42節 これほど信心するのに、どうしてこういう事ができるであろうか思えば、信心はもう止まっている。これはまだ、信心が足らんのじゃと思い、一心に信心していけばそこからおかげが受けられる。



 そこからおかげが受けられるというおかげ。信心がだんだん、豊かに大きく育っていかなきゃならん。心が大きくなるということと、同時に、ひとつね、信心に、ええ、何と申しましょうかね、ボリュームってでも申しましょうかね。重量感と。そういう重量感のあるというか、感じられる信心。まあ言うならば、重い信心にだいすると、軽い信心っていうことにもなりますが。あの、軽い信心。ね。軽い信心ではいけん。
 これほど信心するのにどうしてどうしてこういう事ができるであろうかと思えば、もう信心は止まっておるとおっしゃるが、これほど信心するのにって心が迷うような人。これは、軽い証拠、信心が軽い証拠だと私は思うです。ね。すぐ動揺する。これは信心が軽い証拠だ。ね。ですから、その軽いに対する、んーその、信心に、重いっていう信心。今日私はここんところを、まあこの42節も度々頂くんですけれども、ここの、これはまだ信心が足りんからじゃと一心に信心していけばそこからおかげが受けられるというおかげをですね、どうしてこのようなことがという反対にですね、こうして神様がいよいよ力を付けて下さるんだと思うて、一心に信心していけば。
 そう言う信心を、そこから生まれてくるおかげというのは私は、ひとつ信心が重うなる。重量感のある信心。とでも申しましょうか。ね。言うならば動かない。いわゆる、動かざる事山のごとしである。ね。そう言う信心を、私共本気で身に付けていきたい。ね。大きいだけじゃいかん。ね。豊かなだけではいかん。それに、ね、中身が空だったら軽いよ。ね。ですから、そこに、何とはなしに重みを感ずるような、ね、例えば、その一言が、千万銀の重みを感ずると言ったようなことを申しますでしょう。ね。いわゆる、ほんとに腹の出来た人、いわゆる重量感のある人、ね、内容が。
 ね。言葉を多くしないけれども、その一言はそれこそ、千万銀の重みを持って相手の心に迫る。そういうね、内容を持ちたいと私は。今日、42節からそういうような思い、そういうようなところを頂いていきたい。私はね、これは何でも同じですけど、責任感の強い人にならないけんと思う。ね。何かがあるとそれをもう、皆人のせいにしてしまう。ね。だから、出来るだけ多い責任を持たせてもらえるような立場にならなければいけん。ね。だんだんおかげを頂いて、ね、家の中で言うなら、ね、主人は主人家内は家内としての責任、その責任においての御用。ね。
 これはまあ、私が、様々な修行もさして頂いたけれども、一番私の、きつい修行と言うのは、貧乏した事でしょう。もう根限りにお金に、行き詰まり困った事だと思います。私今から思いますのに、私は、家内に金の苦労をさせた事がありません。どんな時でも。ね。集金に行ってもらった事もなかならければ、今金がここに足らんから私は困っとると言うたことないです。ね。また、家内も私にですね、お金がないからどうしますか。明日食べる物がありませんよと言うたことありません。これは、家内は家内としてですね、やはり、家庭を預かっておる、家っての方を預かっておるその責任において、ね、それを言わなかったんだと私は思います。
 ね。それこそ、毎日毎日、もちろん私共お茶粥、茶粥でこっちの子供たち育っておりますが、もう、来る日も来る日も、ニラの塩煮、といったようなことは珍しくなかった。子供たちに、おやつをやるのに、夏なんかは、もう何にもないですから、私が、ある、サイダーの、そこの工場の責任者でしたところに良くお話しに行った。帰りにその、こんな袋に入れておみやげ、いわゆるサッカリンなんです。ね。甘味材。サイダーに使うんですよね。でそれを、袋にじょうぐいれてから貰う。それを私は、家持って帰っておりましたがね、メリケン粉を薄く溶いてですね、そしてその、ゼラチンを入れて、ゼラチンじゃない、サッカリンを入れて、まあ、それを冷たく冷やしておいてから、その、子供たちにおやつ代わりに与えるといったような。ね。子供たちにおやつが作ってやれないとか、金が与えられないとか、こずかいが与えられないなんかって、もうほんとに、悔やみ事を言うたことがないです。私の家内は。
 もう、私、今それを思うです。ほんとに偉いなと。ん。その為に里に帰ろうと言うたこともなかったし、こげん難儀せんならんことあんならと言うたこともなかったし。引き揚げ(  )ですから、ええー、いろんな、衣類のような、ボロのような物を沢山頂くんです。そのボロのようなのからよって、ええー、綺麗に継はぎをしまして、丁度、あの芝居に出てくる辻占売りが着るようなですね、着物を作ってそれをまあ染めて、今特に、私の丁度、あの2番目の娘ですね、なんかは、よくその着物を、そういう着物を着せられて育っております。
 下駄なんか買うたことありませんでした。勿論私が、下駄を拾う、拾わせていただく、福岡中を回って、拾らわせて回って頂く時代がありましたから、それを、こう、ね、そげん、一足ずっと落ちとりゃしませんもん。片一歩。いや、しかしいよいよ拾う気になるとずいぶんあるもんですよ。石炭箱2杯ぐらい下駄が貯まっとりましたから。それで、家内が綺麗に洗っては丁度合うようなやつにして、自分でおおくけて履かしてやります。子供達に買うてあたえてやる傘もなかった。だから、雨の降る日は学校に行けなかった。(   に通う      )
 ね。そういう難儀の中にあってから、難儀を訴えなかったということは偉いと思いますよ。なら、そういう中にあって私がです、家内に金の(   を)頼んだことはありませんです。ね。これは私は、いわゆる責任においてである。家内は家内としての責任において、私は私の責任において家内に、いわゆる、金の心、金を借りて来てくれとか、金を作って来てくれとかと言うたことはいっぺんもありませんです。そこに、お互いが黙って、それぞれの責任において、そこんところの修行をさせていただいた。まあ、今日の御理解を頂いて、改めてそれを思うんですけどね。そういう、重い責任を自分一人でとらせて頂こうとするところに、だんだん重うなってきとるんじゃなかかと思う。責任が重いから。ね。
 重いものを持っておるからやっぱり重たくなる。まあ、例えばこうやって、だんだん人が沢山助かられるようになってから、ね、沢山なご信者さんが出来て、いろいろな人がございます。おかげを受けていく人もありゃあ、おかげを落としていく人もある。それをですね、やはり、それを信者のせいに、また、されるはずもありませんけれども、やはり、私の責任としてです、私は、いわゆる神様の前に、私が責任をとらせて頂く思いで修行もらいます。
 あれがあげなんふうじゃったけん、おかげがおてた。いいえ、私の信心が足りなかったからおかげを落としたんだと。いうようないわゆる頂き方なんです。責任をとらせて頂く。ね。様々な事に、例えば、ならここでも、総代、幹部と、いわゆるそれぞれに責任において私は、その、教会の御用でもさして頂くというような気にならなければ、ほんとの教会の立ち行きは出来ないと思う。ね。ですから、これはまあ、それぞれの意味合いにおいてですね、ほんとに自分はどのくらい重い責任を持っておるだろうか。千銀持っておるか、一万銀持っておるかと。
 ね。しんないしょうにん様じゃないですけれども、この世の中の事の全ての事が、このしんなん一人の為にあると言うわけです。様々な問題が。ね。この世の中の例えば難儀な問題なんか、このしんらんの責任と云ったようなものを感じておられたのではなかろうかとこう思う。ね。その代わりに、このしんらんの人の為にあるのですから、素晴らしいじゃない。全ての事が。ね。しんらんと言う人柄の生き仏様のような人に育ててくださる為に、全ての事があるんだと言うわけなんです。
 ね。これはもうほんとに、宗教化の、言わば自覚と言うものがです、ね、このようなところまで高められたら素晴らしい宗教化だと私は思いますね。世の中が乱れておるということもです、自分達の祈りが足りんからだと。というようにですね、そこにその、私は願うという事だけじゃなくて、その事に対する、真剣なお詫びが出来てくるんじゃないかと思う。ね。私がたりませんから、このような事にということになってくる。
 ね。同時にですね、私はどうしても、お道の信心さして頂く、表行より心行をせよとおっしゃるようにその、表行も大事、形に表れておる修行も大事だけれども、心行、心の行。ね。そういう、私あの、心の行、いうというようなものがね、いよいよその人の信心の重みというものを作ると思うですね。内容が超えてきますもんね。もう私はこれが(   じゃから)もう言わなたまらん。ね。痛家りゃ、痛い。痒けりゃ痒いで、もうポンポン人に言うてしまう。
 ね。まあ、あっさりしとるというわけでしょうけれどもです。ね。言わなおれないようなところをジット、金光様金光様で辛抱さして頂く。そこから辛抱させて頂く、言わんですむ有り難さっていうものを身に付けていくといったような信心から、私はその、いよいよ、ね、重みのある信心が育っていくと思うです。戦時中よく使われた言葉の中に、身をこうもうかるきにおく、といったようなことを申しましたですね。これが、君の為ならばです、自分の命は、それこそ軽いもんだというわけなんです。
 いわゆる、全ての事に一生懸命、命がけだと言う意味だと思います。事それが、神様の事であるならば、神様事であるならばです、私は、身をこうもうのかるきに置かなければいけないと。自分の事なんか、いやあ、あなたも忙しゅうございますけん、今日は、ああですけん。ね。ほんとに、その事が神様の、ね、お喜び頂けれるっていうか、神様の御用であると言うならばです、もう、一にも神様、二にも神様、もちろん三にも神様と言ったようなね生き方です。
 ね。そういう、私は、信心からですね、身をこうもうのかるきにおく、その反対がです、いわゆる、沈勇とでも申しましょうかね。沈んだ勇ましいと書いてあるですかね、沈勇というのは。いよいよ、思い、元気な心といったようなものが出来てくるです。ね。ただ、一生懸命の信心と言うてもです。ただ、自己主義的な事、自分の本位の事の為に一生懸命なら、誰だってなる。下り坂と、ね、自分のことなら急がんものなかと言われる。私はいつも思うね、あの、農家(   )田植えの時ですね、もう、ちょっと、一日表見らないと、もうおおごとなっとる。もうそれこそ、自分の事だけ。もうようもこれだけの広い所がもう、あっという間に(  上げられてしまう)ありゃもう、自分の事と、その下り坂は、急がんものなかと言うごとですね、もうそれこそ、死にもの狂いで急ぐからです。
 あっという間に、あっと言う事が出来てしまう。ね。例えばそういうような事がですよ、公の事にです、ね、そう言う自分の事に一生懸命になる人ほどですね、公の事にこう、ルーズになるですね。いやあ、なんか、あの、(    なんか)行きますとですね、そうに日頃働きもんちゅう人がブラブラしとるです。ね。これでは、人から、重くも勿論見られないでしょう。責任を持ってもらうような仕事も与えられないでしょう。ね。これではね、ほんとに、私はそういう人の信心するところにです、これだけ信心するのにどうしてこのような事がと言う事になってくるんじゃないかとこう思うね。
 もう、えらいもう打ち込んでしようござるごたるけれどもです、そういうような、ね、どうしてこのような事がと言うて信心をおろそかにしたり、辞めたりしてしまう。ね。お互いが軽い信心をしておるからだと言わなければなりません。これはまだ信心がたりんからだと。言う元気な心を持って信心を一心に進めていけばそこからおかげが受けられると言うような。そういう度々にです、いわゆる重いもの、ね、重量感のある信心。ね。それはどういうことかというと、どのような事があっても動かないからです。迷わないからです。
 どのような場合であっても動じない。顔にも出さん。言うなら、松のような信心。どんなに、綿帽子のように雪が、雪を積んでおってもです、それこそ、いろさえかえの庭の松かなである。ね。むしろその事をですね、一つの風情にしておる。ね。松のような信心。昨日、一昨日でしたか、久留米の佐田さんが、なんてんのような信心。なんてんの雪。のような信心と。これなんかもそう言う意味だと思うですね。
 なんてんちゅうのはたいがい、もう、この便所の横に植えちゃります。ね。言わば臭い所なんです。それでもジーっと辛抱してから生き生きと青々と、そして、冬ともなると真っ赤な実をつけて、そういう今申しますように、雪が降ってそれの、なんてんの葉に積もりますとね、こう下から真っ赤な実が覗いて、むしろその雪を(   にしておるといったような)どういう臭い事の横にあろうが、どうしょうが文句を言わない。
 ね。そういう、それこそ、色さえかえんような信心をせなならんぞといったような事を頂いておられます。ね。だから、女の方達がとくにその、なんてんのような信心ができ、男の方がとくに松のような信心が出来たらほんとに素晴らしかろうと思う。その事から私は、私共の、夫婦の修行時代の事を今日は思いださして頂いたんですけれども。ほんに、家内がああいう中にあって不足を言わなかったなあ、お金を持ってきて下さいとも言わなかったなあと。なら私もそういう中にあって、お前に金ひとつくめんして来てくれんかと言うたこともなかったというところに、もちろん借金の断りにもやったことがありません、私の家内には。
 ようもしますよね。女の方が借金の断わりは一番よかっち。言うけども私は、これは自分の責任において絶対やりませんでした。ほんとにです。ね。ですからその、松のようななんてんのような、信心がまあ出来ておったと自分で思うです。私共の夫婦の上に。ね。そこに、腹が出来てくる。いわゆる、いよいよ重みが出来てくるわけなんです。一心に信心していけばそこからおかげが受けられるというのは、今日は私は、そういう動じない、どのような事があっても動かない。そういう信心からです、ね、その人の信心にいよいよ重みが出来てくるようなおかげが受けられると。だから、それこそ自分一人じゃ抱えられんごたる大きなおかげを頂けれるということにもなるのじゃないでしょうか。
 ところがおかげの方ばっかり、自分はできんでおかげの方ばっかり大きなおかげば願う。まるきり、舌きりすずめのお婆さんのごたる。ね。すずめが舌を切られて可愛そうなと言うておじいさんが、ね、すずめのお宿を尋ねた。ああ、日頃可愛がられておるお爺さんが見えたと言うので、すずめ達がもう様々に、そのすずめ踊りなんかを見せて、そのお爺さんに楽しんでもろうて、いよいよ帰るという時には、なにかみやげをあげましょう。入やあ、もうそげなんことは心配してくれんでよかばい。んにゃあげましょう。そんなら、もう年寄りの事じゃから、軽い物をくれと言う。ね。その軽い物であった物が、ね、家に帰って見るところが大変な値打ちのある物であったというのである。
 さあそれを、聞いたお婆さんがじっとしてはおられない。そんならいっちょ私も行くっちゅうてからその、行った。ね。すずめ達もまあお爺さんと一緒にいろいろともてなしをしましたが、いよいよ帰る時にです、お婆さんお土産をあげたいが何をあげようかと。私はもう、ヨボヨボしとらんけん元気があるから、私はどけなん重かもんでもよかばいっち言うた。それから、つづらにいっぱいにその、重たい物を入れてもろうて、ね、そして、喜びいそんで帰って、もう家まで帰るのが待ち長かった。途中でとげなんものがはいっとるじゃろうかと思うて開けたところが、中からもう泥やら、瓦やら、それやら、蛇やらわぐどやらちゅうごたる怖いもんまで出て来た。
 ね。私共がね、重たい大きなばっかり願うてですよ、いよいよなるほど一生懸命の信心して、ぎざんだふんごとやって、信心するけんやっぱ頂いた。ところが大きかばっかりでまるっきり風船玉ごたるとじゃ。ちょいと突付きゃあパシャーっといっぺんにしまえてしまうようなおかげ。これは、重たいおかげと思いよったら、それこそ、その重たいおかげがかえって怖い思いをしなければならない、難儀な思いをしなければならないようなおかげの基に、そういうことになる基になるおかげを頂いておったということになる。自分自身に、ね、重量感もない、ね、ほんとに世間においてといったような信心をしないで、ね、ちょっと何かありゃ、すぐ迷うごたる迷い信心ばかりしておって頂いたおかげというのは、私、そういうもんじゃなかろうかとこう思う。
 だから、おかげは出来るだけ軽い物。昨日だった、誰じゃったかしら、ああ、善導寺の原さんだったでしょうか。奥さん。もうほんとにあの、こうして日々信心の稽古さして頂いて、家族中の者の信心になってまいります。ね。おかげは絶対のものと思うておるけども、その絶対のおかげが、今どん頂いたら大変だと思いますちゅうてから、原さんが言いなさいました。奥さんの方が。おかげは絶対。このまま進んで行けばおかげは絶対だけども、その絶対のおかげをです、今どん頂いたら大変だっちゅう。
 ね。神様が下さると言うても、もうしばらくおかげは待ってください、もうちっとこちらに力が出来てから。というような思いでおりますちゅうて昨日話しておられましたがです。ね。そういう生き方の信心こそいよいよ、重みが出来てくるんじゃないでしょうか。ね。まず何て言うても今日、42節、ね、これは42節を4にしせつと書いちゃる。ね。いわゆる、身をこうもうのかるきにおくというようにですね、死を持ってとかね、一生懸命、死ぬ思いとかということは一生懸命だということだと思うんです。
 ね。そういう信心がですねなされていく。ね。そこには、どうしてこのようなことが起きてくるであろうかというようなことではなくてです、ね、どのような場合であっても、これはまだ、私の信心がたりんからだというところに一点を絞らしてもらう。ね。動じない、動かない。いよいよ信心が重うなっていきよる。そしてそこから、一心に信心していけばそこからおかげが受けられるとおっしゃるのがです、そういう、私はそこから力が受けられる。
 そこから、いよいよ重たい信心が育つ。ね。そこから、受けられるおかげであって、私は、ね、いわゆる受け物が出来た。それに、十二分のおかげが頂けれるということになってくるんだと。ね。だから、どれだけ頂いてもその、おかげ咽ることがない。そのおかげが十分にぎょうしされる、使われる。いいや、そのおかげがいよいよ有り難い物になっていく。頂いたおかげで難儀せんならんようなことはない。そういうおかげがそこからうけられるんだと、今日はそのようにこの42節を頂いて頂きたいと思うですね。